「もう一度行きたい場所」3位

「ヒデミウさん、もう一度行きたい場所はどこですか。」

「そうですね。三カ所あるんですが……。今回は横浜ですね。」

というわけで、横浜について語っていきたいと思います。

 私は当時18歳。志望した大学にすべて落ちたとき、進路指導室で先生から「新聞奨学生」を紹介されました。

 ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、新聞配達をしながら学費を稼ぎ、予備校に通うというシステムです。

 配属先は横浜の井土ヶ谷という場所です。京浜急行駅からすぐ近くにある新聞店で働くことになりました。井土ヶ谷は比較的自然が残された素敵な場所でした。

 新聞店のおじさん、おばさん、働くお兄さんたちはとても面倒見がよく、私をよくパチンコ店に連れて行ってくれました。

 新潟県出身で同い年の、やはり新聞奨学生をしていた友達ができました。

 最初はバイクの免許がなかったので、自転車で近場の配達をしていましたが、免許を取った後は、範囲が広くなり、配達時間も約2時間と延びました。

 そのころの1日は朝4時起床。4時30分には販売店に行って広告を新聞に挟み込む仕事をします。多いときは、新聞より厚く広告が入る時があり、販売店を往復して配達することもしばしばでした。7時ころに販売店で朝食を食べて、予備校へ。帰ってきたら夕刊配達の準備。そして夕刊配達。夕食を食べて自宅のアパートへ帰宅という毎日でした。

 販売店のアンちゃんたちは、バイクの免許もうまく、くわえタバコで仕事をします。よく缶コーヒーをごちそうになりました。

 一人はとっても恋多き人でしょっちゅうガールフレンドが変わりました。振られると落ち込むけれどすぐ立ち直ります。

 もう一人は750CCのバイクを持っていて、休みの日はどこかへ行っていました。運転テクは抜群で、原付のバイクからはみ出すほど新聞を積んで、くわえタバコで颯爽と店を出て行きます。

 新聞店のおばさんは、時々おじさんとけんかして愚痴を聞かされました。

 どれもこれも私が今まで味わったことのない世界で私の狭かった視野もここでずいぶんと広がりました。

 つづく